top of page

東洋のマチュピチュ 別子銅山

  • 横田潤一郎
  • 2016年4月4日
  • 読了時間: 2分

今日は書く機会が無かった別子銅山の東平(とうなる)エリアについて書いていきます。

愛媛県の新居浜市にある別子銅山、住友金属の礎を気付いた日本有数の銅山でした。

今も住友さんは新入研修にこの場所を使っているそうです。

今は廃鉱になってしまい、その当時の建物の多くも取り壊されてしまいました。

東洋のマチュピチュ

銅山を掘るために標高約750mの山中に築かれた天空都市。

そこには全盛期約5,000人もの人々が暮らし、

病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、接待館などの施設があり、

地上よりも文化的な生活が営まれていました。

その為、このエリアは「東洋のマチュピチュ」と呼ばれています。

東洋のマチュピチュは竹田城だろうと思われる方も多いかもしれませんが、

元祖マチュピチュは、元々都市機能を備えていた訳ですから、

お城だった物よりは、産業都市だった東平の方が、意味合いとしてマチュピチュに近いんじゃないかと、

個人的には考えています。

さて、そんな東平エリアですが、山の上にあるだけに行くのはちょっと大変。

新居浜市内から40分程、くねくね山道を登って行く必要があります。

しかしこの道のりが苦にならないほど、素晴らしい物を見ることができます。

数少ない現存の建物 第三変電所

多くの建物が壊されてしまい、現存する建物は僅かになっております。

石組みの部分で名残を感じられる物は多く見られますが、

東平エリアで現在も使われている建物は、

保安本部が置かれていたレンガ造りの建物はマイン工房ぐらいではないでしょうか。

そんな中、東平エリアの奥にひっそりと佇む私の大好きな建物があります。

それが第三変電所。

第三変電所

明治37年に落シ水力発電所からの電気を変電するために建設された、赤煉瓦造りの建物。

この中がまた歴史を感じる素晴らしい雰囲気なんです。

如何でしょうか。

廃墟好きの方にはぴくりとくる物があるのではないでしょうか。

その当時の熱気をそのままとどめた様な佇まいを目の当たりにすると、

当時の活気が聞こえてくるようです。

慎重に2階に上がってみました。

所々に高電圧線が配置されていたと思われる形跡が見れて、当時に想いが至ります。

この雰囲気を味わう為だけにここに来る価値ありと言った貴重な建物に出会う事ができます。

去りがたい気持ちをグッと堪えながら、今回も建物を後にしてきました。

Commentaires


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page